JRから 貨車を買った
基礎工事には 駆り出されたが
貨車はさすがに重いので
私の出番はなかった
電気をつけ 水道を引くと
立派な 作業小屋が完成した
小屋の中で 毎日 陶芸に打ち込んだ
形も崩れず 作品と呼べる 陶器になってきた
その頃から 誰も笑うことがなくなった
陶芸を始めてから 2年が経っていた
窯を焚くたびに
粘土の特性を生かした
作品ができてきた
出来上がった作品を見て
欲しいといえば
ご主人様は笑顔で 持っていけ
と言って くれてしまった
バーべキュ―ハウスを建てた
平成8年になると バーべキュ―ハウス を建てた
2間まっ角のあずま屋だった
屋根は銅板ぶきの 本格的なものだった
土間を固め 1m角のコンロを作った
稲わらを燃やした 灰を入れた
夏になると 生ビールを持ち込み
仲間を集めて 肉を焼いて
バーベキューを 楽しんだ
陶芸に飽きると
庭園の手直しが始まった
何トンもある 大きな石を運んできては
あちこちに 置き始めた
ご主人様の頭の中には
完成後の景観が
インプットされて いるようだ
てびねりを貫く
独学で陶芸を始てから
一貫していたのが
電気ロクロではなく 粘土を紐にして
ドベイでつなげ 一段ずつ 積んでは伸ばし
形を作っていく てびねり という技法だ
今もてびねり 一筋だ
ユニークだった教え方

この頃には 小板橋昌弘さんは
自分の教室を持っていたようだ
ご主人さまを頼って
陶芸を教えてほしい という人が現れた
ご主人様は 快く引き受けた
作りたいものを作らせ
アドバイスを聞きながら
学んでいく という教え方だった
これが後に 自由な発想の
作品作りへと 進化して行った
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