2010年3月24日水曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

素焼きができた

3月10日 水曜日
今日も作陶の日だ 皆が集まってきた
昨日は1日 雪が降っていた
5cmくらい積もった
道路が心配だったが なんとか登れた

新会員は そわそわしている
ほかの会員も 同じだ
長谷川さんの 
大作が無事仕上がったか
気になっていた
初めて作った 陶器を見に行った
長谷川さんの大作は 残念ながら
割れていた 凍みたようだ

新会員の作品は みんな無事できた
想像していたより 
小さくなっていたので 驚いた
マグカップの 手も割れていなかった
壺も無事焼けあがっていた
次の作品作りが 楽しみになってきた

道路が広くなった

陶蛍庵に登ってくる 道路は
林道大日陰線と呼ばれ
4メーター、一部 両側側溝になっていた
最近は 自動車のキャンピング場が 
できたりして
大きな車が 通行するようになった
そのため すれ違いなどのとき
誤ってその側溝に 落ちてしまうことが
年に5-6回あった
そのたびに私の出番となり
5分~10分かけて 車を引き揚げに 
行っていた

顧問の武井隆幸が 7~8年前から
改良するよう要望していたが
高崎市と合併して 3年目にして
やっと実現した
側溝の上に 溝ぶたをかけるだけのものだが
見違えるほど 広く見える
新年度予算で 残る部分も
改良することになっている
これで 私の出番は なくなるだろう

昨年の 陶芸といけばなの 
コラボレーションのときは
この道を一方通行にして 対応した
今年の作陶展は 交互通行ができるので
問題が二つ解決した

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

アレンジが仕上がった

作曲の池田進が 「炎の道」は 暴れん坊将軍風の 
アレンジがいいといっていた
3月9日 アレンジがあがった
早速 窯元と聞いてみた かっこいい すごい歌になった
窯元も 気に入ったようだ

池田進が 東京からキーボードを もってきた
窯元のキーを 確かめるのと 歌のレッスンをするためだった
窯元が どんな歌い方をするのか 早く聴いてみたい

夢が膨らんだ

会員も「炎の道」の アレンジを聞いた みんな驚いた 興奮した
作陶する前に 社歌ではないが 皆で歌ってから はじめるか 
と 夢は膨らんだ

レコーディングして CDを売る話になった
窯元は そばでニコニコ笑っていた
窯元のことだから レコーディングはしても
売る話になるか ちょっと疑問だ

私の想像では 
陶芸を志し 陶蛍庵を作ってから 今年で20年の節目になる 
この記念にCDを 作るかもしれないが
知り合いに くれてしまうのでは ないだろうか 
そんな気がする

2010年3月4日木曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

思いがけないことになった

ユンボがみた 陶蛍庵みとら窯物語を 
書いていたら 詩ができた
陶芸を通して 精神が落ち着いたり
土から作品が生まれる 楽しさ
仲間の大切さなどを 歌い込んだ
「炎の道」と題名をつけた

咲くまでは 草といわれた 野菊かな
と窯元が詠んだ 句がある
この句を取り入れて 作った
陶芸の道を志して 20年
思いがけない方向に 向かい始めた

作詞は 顧問の武井隆幸が
素人なりに 始めて書いた
この詩に 東京で活躍している
池田進とグリーンアイズの
バンマス 池田進が作曲した
二人は 農大二高の2期生で
同じクラスで 勉強していたそうだ
陶蛍庵のことを 知っている人や
陶芸を志している人には
好評のようだ

窯元は 北島三郎の歌が好きで
歌い方も似ている
会員からは ぜひ窯元に歌って欲しいと
せがまれている
そんな日が 来るかもしれない

もしかして CDを作るかもしれない
となると もう1曲作る必要がある
そこでできたのが 渋沢幸治さんを偲ぶ
「ああ 人生道中途」という曲だ
中途と書いて なかばと読むのだが
日本人の平均寿命からすると
55歳は早すぎる 
まだまだ続くはずの 人生だった
そんな 追悼の歌になればいい

2010年3月3日水曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

釉薬室の建設

一挙に会員が 増えたことで
教室が狭くなってきた
毎週水曜日に 会員が集まってくる
曜日をずらすなど 
今後 検討することになった
そんななか 窯元に 
何か考えがあるのか
釉薬室を作ることになった
古い電柱で 根太を組み
床を作った

当然 電柱運びは 私の仕事だったが
今回は短いので 人力で運んだ
2間3間6坪の 釉薬室だ
2月21日には ほぼ完成した
棚がつけられ 塗装され 電気が入り
28日には 釉薬が運び込まれた

登り窯を覆っている屋根が
雨漏りしていた
窯焚きのとき 雨が降ると 
一斗缶を並べて 雨漏りをしのいでいた
そこでトタンをはいで
明り取りに 改良することになった
12枚のナマコが はられた
昼間でも投光機をつけるほど
薄暗かった土間が 嘘のように
明るくなった
雨漏りもしなくなった

会員の作品が素焼きへ

新会員が入会してから 
40日が経とうとしていた
成長は目覚しく 
作品もいくつか作られた
皿や花瓶など それなりの形に
なってきた
最初の頃作ったものは 乾燥したので
3月7日に 素焼きが 
行われることになった
自分の作品が 無事に仕上がるのか
期待と不安で 一杯だろうが
焼き上がりが 楽しみだ

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

悲しい別れ

平成22年の年明けは
悲しい別れから始まった
初めてののぼり窯以来 
窯焚きが始まると 
これは自分の仕事だと
何があっても 駆けつけてくる
渋沢幸治さんが 
1月3日 天国へ旅たった
55歳の若さだった
「明けましておめでとうございます」
が言えない 悲しい仲間との 
最初の集いとなった

栃木県から 群馬県人になった
一男一女の父親だった
酒が好きで 窯焚きの最中も
よく飲んでいた
結局はその酒が 命取りになった
真面目で 細かい気配りのできる人だった
窯焚きの期間中 疲れも見せず
黙々と 薪をくべ のぼり窯と
戦った 貴重な存在だった

後に行われた 法事では
栃木からやってきた 身内の人が
「群馬県に来て 良い仲間と出会え
幸せだった あんな 穏やかで
優しい顔は 見たことがない」
と遺影を前にしみじみと
語っていたそうだ
ご冥福を ただただ祈りたい

新会員が4人入会した

1月20日 若い女性4人が入会した 
教室がにぎやかで 華やかになった
陶芸をしたこともない 
いわゆるずぶの素人だ
早速 マグカップ作りに 挑戦した
粘土を丸め ひもを作ることから教えた
なかなか 均一な太さにならなかったが
それでも 積み上げ始めた

どべいを塗って ひもをつなぎ合わせる
簡単そうに 先輩たちはやっているが
やってみると 難しそうだ
そんな姿を見て 窯元は 楽しそうに
笑顔を浮かべ 懇切丁寧に 教えていた

新会員が入った事で 
ことさら 燃えている人がいた
藤牧伸夫だった
自分が苦労した日を 思い出しながら
やさしい口調で アドバイスをしている
何とか マグカップの 形になってきた
新会員の1日目は 
何がなんだか分からず 
あっという間に 終わった