2010年12月14日火曜日

ユンボが見た陶蛍庵(とうけいあん)みとら窯物語 Ⅲ

再度とりなすことに

朝 池田から電話があった
欲を言えば3番が 
少し問題があるといったが
本人も 納得していないので
7月8日に 再度
ああ 人生 道中途(みちなかば) だけを
取り直すことになった

スタジオ入りする前に
カラオケボックスで 声が出るように
歌いこんだ
午後3時 スタジオ入りした
池田が 少し遅れてきた
来る途中で 朝倉 由美子に
電話したら 激励に来るという
むかし キャンペーンで
武藤さんに 世話になったそうだ

4時過ぎ ちょうど休憩のとき
朝倉が来た
ひとしきり 昔話をして
音取りが始まった
なんとなく 歌に元気が出てきた
池田と朝倉と松尾・武井で 歌をチェックした

朝倉が いい声だと感心していた
歌い終わって
みんなで聞いた
本人も 納得した仕上がりになった
マスターテープが できるまで
しばらく 談笑した
朝倉が 9月に浅草で
ディナーショーを やるので
ゲストに 来てほしいといった
朝倉も ああ 人生 道(みち)中途(なかば)を
歌うといった
話が意外な方向に 向かった

8月10日にCDが届く

渋沢幸治さんの新盆が近づく
8月10日 CDが届いた
さっそく 武藤さんと
梱包を解き CDを手にした
封を切り 聞いてみた
ああ 人生 道(みち)中途(なかば) 
は取り直して正解だった
「これなら 人様に聞かせられる」と
武藤さんも 納得した
渋沢幸治さんの 追悼歌として
御霊に手向けるため
生前の写真と 映像をいれて
DVDを作ってくれ と言われた
写真嫌いな人だったので
エコールで展示会した時に
映っていた 映像を入れて 作った

新盆には 栃木から兄弟がやってきた
お母さんは体の具合が悪く きなかった
武藤さんが CDと映像入りの
DVDを 霊前に供え
お母さんに渡してくれと 手渡した
CDを作った目的が 一つはたせた

2010年7月21日水曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅲ

陶蛍庵みとら窯20周年記念曲

7月1日 東京日暮里の 
スタジオについた
武藤さんは多少 緊張しているようだ
声のほうも だいぶ良くなった
今日一日で 何とかなるだろう
スタジオに入った
ヘットホーンを耳に当て
マイクの位置 音量を確認した
最初に 
ああ 人生 道中途(みちなかば) を
歌うことになった

 ああ 人生 道中途(みちなかば)

1 親より先に いくなよと
  祈る気持と 裏腹に
  不幸 重ねた 奴がいる
  酒を飲み干し 命をちぢめ
  太く 短く きままに生きた
  自分勝手な 生き様は
  ああ 人生 道中途(みちなかば)

苦しそうだが なんとか歌えた
次に 炎の道 を歌った

     炎の道

1 咲くまでは 草といわれた
  野菊のように
  名もない暮らしに 耐えてこそ
  いつかは大きな 花が咲く
  登りの窯に すべてをまかせ
  土を焼き締め 生まれる命
  わが子に触れる 手のひらに
  あふれる喜び 炎の道

休憩をとり 唄を聞いてみた
歌いだしが 不安定なので
そこを レッスンして
歌いなおした
納得できる 仕上がりになった
細かいところを 手直しして
完成版を 聞いてみた

炎の道は いい仕上がりになった
話に夢中になって
ああ 人生 道中途(みちなかば) 
の仕上がりを みんなで聞かなかった
午後1時から始まった 
レコーディングは 8時を回っていた
時間を気にして
ああ 人生 道中途(みちなかば) 
の仕上がりを 確認しなかった
とりあえず マスターテープは完成した
池田が それを持って出た

高崎に帰ってから CDを聞いた
確認しなかった分 不安だった
炎の道は 納得できた
ああ 人生 道中途(みちなかば) 
は案の定 いまいちだった
本人も 納得できないようだった

2010年7月20日火曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

いけばな松風展の準備が始まる

5月19日 いけばな松風展に出品する
陶蛍庵みとら窯の作品の 梱包が始まった
事前に石川応紫さんが 
作品の確認をしていった
最低 一人2作品を出品する
20日~25日まで3日ずつ 
前期・後期に分けて 
作品に 花を生ける人が変わるためだ

午後6時 会場となった
高崎のスズラン 地下2階に行った
まだ 一部内装が終わっていなかったが
いけばな松風の会員に 集合がかかった
100人以上の関係者が 集まっていた
群馬はもちろん埼玉・東京・千葉・茨城
そして 遠くは熊本からも来ているらしい

組織のことは よくわからないが
師範以上の人が 花を生けるようだ
会場は 
和モダン・無機質・自然美・小品花と
4つのコーナーに 分かれていた
家元・副家元・家元補佐をいれて
前期・後期それぞれ 
97作品が展示されるようだ

陶蛍庵みとら窯のコーナーは
自然美で 竹が立てられ 
タケノコをはやし
石とコケで自然を 醸し出している
そこに 会員の作品がおかれ 
花が生けられるようだ
何時までかかるか 分からないので
適当に引き上げた

いけばな松風展 「千紫万紅」始まる

5月20日 午前10時
いけばな松風展
 「千紫万紅」が始まった
前夜 どんな戦いがあったのか
わからないが それぞれのコーナーが
見事な花で飾られていた
陶蛍庵みとら窯の 
自然美のコーナーも
22の作品で 飾られていた
中央には 小林千夢の
カエルのオーケストラが 陣取っていた

お客様の入りも 順調のようだ
家元はそれぞれのコーナーを
行ったり来たりして
作品などの説明をしていた
6日間 この作業を繰り返すと
相当 疲れるのではないだろうか

土曜日は朝から お客が出入りし
大変なにぎわいだ
後期の日曜日は 
大変な混雑が予想される
土曜日の 展示が終わると
後期の花が 生けられる
また 大変なことになるのでは
ないだろうか

日曜日 後期の展示が始まった
陶蛍庵みとら窯の コーナーも
花が生け変えられ
前日と 違う雰囲気だった
生ける人によって
まったく違う 作品になっていた

期間中の入場者は
3000人を 超えたそうだ
大成功の 展示会になった

2010年6月23日水曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

窯出しの準備開始

5月16日 窯出しの日が来た
午前10時 神棚に手を合わせ 
窯出しの準備が始まった
関係者は 全員集まっていた
耐火れんがが外された
中の様子が見えてきた

1280度の温度に耐えた 
作品が見える
耐えきれなかった 作品も見えた
作品を出すには 窯の中が少し熱かった
そこで食事をしてから 出すことになった
赤飯が用意され 
期待にはずむ気持を抑え
皆で食べた

窯出しが始まった
 
第1号は 上の窯の
横ざし下に置いてあった
岡田さんの大作だった
素焼きして 何の問題もなかったが
真中が十字の形に 割れていた
今回は 大作が割れたり 
ひびが入ったりしていた
作陶に 問題があったのかもしれない

作品が出てくるたびに 
大きな歓声が あがる
小原さんの作品が全体的に
いい仕上がりだった
毎年のことだが 
初めて登り窯に入れた人の
作品の仕上がりがいい
去年は 槌本さんの作品がよかった

窯元の作品 抹茶茶わんの出来がすごい
長年やってきた中で 今回のが最高だ
宝ものになるのでは ないだろうか

すべての作品が 出し終わったのは 
ちょうど 3時になろうかとしていた
各々の作品を 集め
一つ一つ その出来を確かめ
よろこびに浸る人
がっかりする人
次の作品作りに 構想をはせる人
それぞれの 思いが交錯する
登り窯の窯出しは 終わった

ユンボが見た陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

5月1日 本焼きに入った

前日からすでにはじまった 本焼きだが
4日まで本当に 炊き続けるのか
先の長いことになった
午後1時には下の窯が 
1200度を達成した
そして 上の窯を1200度に 
上げる作業が始まった
一進一退を繰り返し
1100度まではいくが
なかなか1200度に 達しなかった

5月2日 午前11時 ダンパーを開け
ついに上の窯も 1200度を達成した
火種を作り 灰で一杯になるよう
気を使いながら まきをくべる
横ざしも 10本から5本に少なくし
温度が下がると同時に 
その繰り返しだ
下と横ざしの格闘だ

5月3日ついに1284度を達成

午後2時過ぎ 1240度を超えた
窯元にそれを告げると 
1280度まで上げることになった
過去には1240度で終わっていたが
今回はその上の温度に 
挑戦することになった
中の作品が 壊れてしまわないか
心配したが 大丈夫だということで
未知の温度に上げることになった

横ざしを3本にして 温度計との
戦いが始まった
午後3時前 1284度を達成した
しばらくこの温度を保ちながら
達成感を 味わった

今度は下の窯を 
その温度まで上げる作業が 始まった
火種を作り 横ざしを繰り返す
5月4日最終日へと 
日付も変わっていた
すでに 下の窯は1240度を
達成していたので 
最後の仕上げであった
今回の登り窯は 
最初から順調であった
こんなに簡単に 
温度が上がっていいのかと
逆に心配になるほどだった
去年までの格闘が 嘘のようである

登り窯の窯焚きが終了

午前11時 耐熱コンクリートで
焚き口すべてを ふさいで窯焚きは終了した
作品の仕上がりが 気になるが 
とりあえず 今年のお祭りは終わった
皆の顔に安どの色が見える

露天ぶろにつかり 疲れをいやす人
ビールを飲んで 喉をうるおす人
食事の用意をする人
あとかたずけをする人
作品の仕上がりを 話し合う人
それぞれが 満足した窯焚きだった

2010年6月2日水曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

作業3日目(30日)600度が目標

作業2日目は 
350度で終了するはずだった
夕食を食べ 一杯飲んで
解散することになっていたが
窯元と小林千夢、藤牧夫婦が
今日からとまることに なっていた

翌日 データを見て驚いた
夜11時まで 窯を焚きつづけ
540度まで 温度が上がっていた
午前9時30分 窯の温度は
270度だった

今日は600度が目標だが
すでに 540度を達成していたので
600度以上に 上げるような気がした
午後1時には目標は 達成した
4時まで 600度台を保った
いよいよ 700度まで上げる 
指示が出た
焚き口に薪を投げ入れ 
火種をどんどん作った

そうしないと 
窯の温度が上がらないからだ
横ざしが始まった
焚き口と 横ざしのタイミングが
あわないのか 
なかなか温度が上がらない
それでも6時には 700度になった

3日目も窯を温めるのが 予定だったが
窯の調子がいいのか 
どんどん温度を上げていった
本焼きに 突入していた
真夜中には 下の窯が1081度
上の窯が 889度となった
今年は 長く火を焚き 温度を上げて
今までにない作品作りを 
目指しているようだ

2010年5月14日金曜日

ユンボが見た陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

窯炊きが終わった

5月4日11時30分
7日間にわたる のぼり窯の
窯炊きがおわった
無事終了した安堵感か みんなの顔から
笑顔がこぼれている
今回はすべてが順調だった
余裕さえあった
今までの窯炊きと比べ 嘘のようだった

4月28日 大安 あさ9時15分
小林千夢の音頭で 安全祈願が行われた
長谷川、藤牧、槌本、山田 、武井の6人で
窯炊きが何事もなく 無事終わるよう
柏手を打った

9時30分 小林千夢が 
のぼり窯に火を入れた
チョロチョロと燃え始めたが 
中々燃え上がらない
今日は 窯を温めることが目的で
130度まで 温度をあげて終了となる
11時22分 窯の中の温度が
60度を超えたころ 
一気に火が燃え上がった
窯と煙突が貫通し 空気を吸い込み始めた
温度が上昇し始め
夕方 3時には 130度に達した
小林千夢の指示で
6時までに150度まで 
上げることになった
これも 達成したので 
第1日目の 作業を終えた

作業2日目(29日)は300度が目標

午前9時30分 窯の温度は
54度まで下がっていた
火を入れ 薪をくべ 温度を上げていった
午後1時には 300度になった
温度を保ち 5時になった
小林千夢の指示で 
6時までに350度まで
上げることになった
がんばって 350度をクリアした

2010年4月18日日曜日

ユンボが見た陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

登り窯の日程決まる

4月17日 朝 目を覚ますと 
一面が雪景色だった
榛名湖では 30cm以上積もった
午後には道路の雪は
解けたようだが 泊り客は
まごついたことだろう

さて 登り窯を焚く 日程が決まった
4月28日が大安ということで 
午前10時30分に 火入れ式を行う
本焼きは 5月1日から4日までを
予定している

準備に追われる

登り窯を焚くために 
いくつかの準備が必要だ
作品の素焼きが 急ピッチで
行われることになった
4月11日、18日、19日と
電気窯とガス窯はフル回転だ
担当は 小林千夢だ

21日は 素焼きされた作品を
登り窯のところまで運ぶ
25日には 会員全員で 
登り窯に 
詰め込み作業が行われる
そして28日の火入れになる

窯焚きに合わせ 露天風呂の用意だ
一晩中窯を炊くことから 風呂は重要だ
温泉を運んできて 薪をそろえ
25日までには 
完了させなくてはならない
この担当は 藤牧伸夫だ

当日の食事の係りは 
女性会員が受け持つ
メニュー作りが大変だ
会員以外にも 手伝いの人や
見学する人も来る
その日その日で 人数が変わる

1年1回のお祭り

作品作りも 一段落させ
すべての行動は 窯焚きに集中する
その年その年で 
いろいろなドラマが生まれる
1250度の 今年のお祭りは 
何が待っているのだろうか

5月4日 窯焚きが終了すると 
5月11日まで 一時の休暇になる
12日には 待ちに待った
窯出しだ
そして 19日には スズランデパートへ
作品の搬入が待っている
強行スケジュールだ
1ヶ月間は大変だが 
1年1回のお祭りと
割り切って 頑張ってほしい

2010年4月7日水曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

CDの音入れで歌ってみる

「炎の道」と「ああ人生道中途」の
カラオケが仕上がったが
「炎の道」には ギターとトランペットを
かぶせる作業を 行うことになった
3月26日 日暮里のスタジオに向かった
すでに作業は始まっていた
ギターの音をかぶせていた

男性コーラスを 生かすために
トランペットはやめて
尺八をいれることになった 
と説明された
音入れが終わったところで
ご主人様が 歌ってみた
花粉症で 鼻が詰まって
声が出ないが それなりに歌っていた
とりあえず CDに落として
聞いた

生まれ持った歌声

作曲の池田進が いった
あの歌い方は 教えようのない
生まれ持った ものだ
詩が見事に伝わってくる
と絶賛した
アレンジャーの隼さんも
気に入ったようだ
娘さんも はじめての経験に
感激していた
レコーディングの本番は
花粉症がおさまってから 
行うことになった

5月中に レコーディングして
7月には CDが出来上がるのでは
ないだろうか
それにしても のぼり窯と展示会と
レコーディングと 体力がもつか
心配になってきた

2010年4月4日日曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

月にいけばな松風の展示会

いけばな松風の 石川さんがやってきた
90周年記念「いけばな松風展」を
高崎市のスズランデパートで
5月20日から25日の日程で
開催することになった という

展示会場は 迎え花 和モダンの間 
ガラス・金属の間 野の花・自然式の間と
大きく4つのコーナーに 分かれている
そこで 野の花・自然式の間に
陶蛍庵の作品を置き 花を生けたい
という申し込みだった

家元じきじきの 指名だという
会員の作品20点位 
用意してほしいということだ

本部と全国の支部が結束して
100周年に向け 
これからの創流のスタイルを
表現する展示会 だという
そのために 1つの器に2日間ずつ
3人が順番にいけるのだそうだ

作品づくりにに熱が入る

5月の連休に のぼり窯を
焚くことになっている
展示会のためには 5月19日までに
作品を仕上げなくてはならない
今のままでは のぼり窯に入れる
作品が足りない
ご主人様の 作陶意欲がわいてきた
水曜日の教室には できるだけ顔を出し
そのほかの日は 作陶小屋へこもり
作品作りに 集中している

2010年4月3日土曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

電気窯で本焼き

3月22日 素焼きされた作品に
絵付されたものや 釉薬をかけて
電気窯で本焼きが 行われた
小林千夢が 
朝早く 電気窯のスイッチを入れた
1430度が 設定温度だ
半日以上焼き続け 
温度が下がるのを待って
窯出しになる 24日になるようだ

今回の窯焚きは 新会員の作品を
仕上げるのが 大きな目的だ
自分だけの 作品をとおして
陶芸は楽しいと 感じてもらうことが
一番という 千夢の気づかいだ
入会して2か月 初めての作品に
触れて喜ぶ姿が 目に浮かぶ

初めての作品

3月24日(水)
新会員の作品が 仕上がった
初めて作った陶器は マグカップだ
釉薬をかけて どんな色にあがるのか
期待で胸が躍った
電気窯を開けると きれいに仕上がった
作品が出てきた
新会員のマグカップも 
きれいに仕上がっていた
歓声が上がった
手にとって 触れてみた
私にも できるんだ と
勇気が わいてきたようだ


2010年3月24日水曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

素焼きができた

3月10日 水曜日
今日も作陶の日だ 皆が集まってきた
昨日は1日 雪が降っていた
5cmくらい積もった
道路が心配だったが なんとか登れた

新会員は そわそわしている
ほかの会員も 同じだ
長谷川さんの 
大作が無事仕上がったか
気になっていた
初めて作った 陶器を見に行った
長谷川さんの大作は 残念ながら
割れていた 凍みたようだ

新会員の作品は みんな無事できた
想像していたより 
小さくなっていたので 驚いた
マグカップの 手も割れていなかった
壺も無事焼けあがっていた
次の作品作りが 楽しみになってきた

道路が広くなった

陶蛍庵に登ってくる 道路は
林道大日陰線と呼ばれ
4メーター、一部 両側側溝になっていた
最近は 自動車のキャンピング場が 
できたりして
大きな車が 通行するようになった
そのため すれ違いなどのとき
誤ってその側溝に 落ちてしまうことが
年に5-6回あった
そのたびに私の出番となり
5分~10分かけて 車を引き揚げに 
行っていた

顧問の武井隆幸が 7~8年前から
改良するよう要望していたが
高崎市と合併して 3年目にして
やっと実現した
側溝の上に 溝ぶたをかけるだけのものだが
見違えるほど 広く見える
新年度予算で 残る部分も
改良することになっている
これで 私の出番は なくなるだろう

昨年の 陶芸といけばなの 
コラボレーションのときは
この道を一方通行にして 対応した
今年の作陶展は 交互通行ができるので
問題が二つ解決した

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

アレンジが仕上がった

作曲の池田進が 「炎の道」は 暴れん坊将軍風の 
アレンジがいいといっていた
3月9日 アレンジがあがった
早速 窯元と聞いてみた かっこいい すごい歌になった
窯元も 気に入ったようだ

池田進が 東京からキーボードを もってきた
窯元のキーを 確かめるのと 歌のレッスンをするためだった
窯元が どんな歌い方をするのか 早く聴いてみたい

夢が膨らんだ

会員も「炎の道」の アレンジを聞いた みんな驚いた 興奮した
作陶する前に 社歌ではないが 皆で歌ってから はじめるか 
と 夢は膨らんだ

レコーディングして CDを売る話になった
窯元は そばでニコニコ笑っていた
窯元のことだから レコーディングはしても
売る話になるか ちょっと疑問だ

私の想像では 
陶芸を志し 陶蛍庵を作ってから 今年で20年の節目になる 
この記念にCDを 作るかもしれないが
知り合いに くれてしまうのでは ないだろうか 
そんな気がする

2010年3月4日木曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

思いがけないことになった

ユンボがみた 陶蛍庵みとら窯物語を 
書いていたら 詩ができた
陶芸を通して 精神が落ち着いたり
土から作品が生まれる 楽しさ
仲間の大切さなどを 歌い込んだ
「炎の道」と題名をつけた

咲くまでは 草といわれた 野菊かな
と窯元が詠んだ 句がある
この句を取り入れて 作った
陶芸の道を志して 20年
思いがけない方向に 向かい始めた

作詞は 顧問の武井隆幸が
素人なりに 始めて書いた
この詩に 東京で活躍している
池田進とグリーンアイズの
バンマス 池田進が作曲した
二人は 農大二高の2期生で
同じクラスで 勉強していたそうだ
陶蛍庵のことを 知っている人や
陶芸を志している人には
好評のようだ

窯元は 北島三郎の歌が好きで
歌い方も似ている
会員からは ぜひ窯元に歌って欲しいと
せがまれている
そんな日が 来るかもしれない

もしかして CDを作るかもしれない
となると もう1曲作る必要がある
そこでできたのが 渋沢幸治さんを偲ぶ
「ああ 人生道中途」という曲だ
中途と書いて なかばと読むのだが
日本人の平均寿命からすると
55歳は早すぎる 
まだまだ続くはずの 人生だった
そんな 追悼の歌になればいい

2010年3月3日水曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

釉薬室の建設

一挙に会員が 増えたことで
教室が狭くなってきた
毎週水曜日に 会員が集まってくる
曜日をずらすなど 
今後 検討することになった
そんななか 窯元に 
何か考えがあるのか
釉薬室を作ることになった
古い電柱で 根太を組み
床を作った

当然 電柱運びは 私の仕事だったが
今回は短いので 人力で運んだ
2間3間6坪の 釉薬室だ
2月21日には ほぼ完成した
棚がつけられ 塗装され 電気が入り
28日には 釉薬が運び込まれた

登り窯を覆っている屋根が
雨漏りしていた
窯焚きのとき 雨が降ると 
一斗缶を並べて 雨漏りをしのいでいた
そこでトタンをはいで
明り取りに 改良することになった
12枚のナマコが はられた
昼間でも投光機をつけるほど
薄暗かった土間が 嘘のように
明るくなった
雨漏りもしなくなった

会員の作品が素焼きへ

新会員が入会してから 
40日が経とうとしていた
成長は目覚しく 
作品もいくつか作られた
皿や花瓶など それなりの形に
なってきた
最初の頃作ったものは 乾燥したので
3月7日に 素焼きが 
行われることになった
自分の作品が 無事に仕上がるのか
期待と不安で 一杯だろうが
焼き上がりが 楽しみだ