2010年5月14日金曜日

ユンボが見た陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

窯炊きが終わった

5月4日11時30分
7日間にわたる のぼり窯の
窯炊きがおわった
無事終了した安堵感か みんなの顔から
笑顔がこぼれている
今回はすべてが順調だった
余裕さえあった
今までの窯炊きと比べ 嘘のようだった

4月28日 大安 あさ9時15分
小林千夢の音頭で 安全祈願が行われた
長谷川、藤牧、槌本、山田 、武井の6人で
窯炊きが何事もなく 無事終わるよう
柏手を打った

9時30分 小林千夢が 
のぼり窯に火を入れた
チョロチョロと燃え始めたが 
中々燃え上がらない
今日は 窯を温めることが目的で
130度まで 温度をあげて終了となる
11時22分 窯の中の温度が
60度を超えたころ 
一気に火が燃え上がった
窯と煙突が貫通し 空気を吸い込み始めた
温度が上昇し始め
夕方 3時には 130度に達した
小林千夢の指示で
6時までに150度まで 
上げることになった
これも 達成したので 
第1日目の 作業を終えた

作業2日目(29日)は300度が目標

午前9時30分 窯の温度は
54度まで下がっていた
火を入れ 薪をくべ 温度を上げていった
午後1時には 300度になった
温度を保ち 5時になった
小林千夢の指示で 
6時までに350度まで
上げることになった
がんばって 350度をクリアした

2010年4月18日日曜日

ユンボが見た陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

登り窯の日程決まる

4月17日 朝 目を覚ますと 
一面が雪景色だった
榛名湖では 30cm以上積もった
午後には道路の雪は
解けたようだが 泊り客は
まごついたことだろう

さて 登り窯を焚く 日程が決まった
4月28日が大安ということで 
午前10時30分に 火入れ式を行う
本焼きは 5月1日から4日までを
予定している

準備に追われる

登り窯を焚くために 
いくつかの準備が必要だ
作品の素焼きが 急ピッチで
行われることになった
4月11日、18日、19日と
電気窯とガス窯はフル回転だ
担当は 小林千夢だ

21日は 素焼きされた作品を
登り窯のところまで運ぶ
25日には 会員全員で 
登り窯に 
詰め込み作業が行われる
そして28日の火入れになる

窯焚きに合わせ 露天風呂の用意だ
一晩中窯を炊くことから 風呂は重要だ
温泉を運んできて 薪をそろえ
25日までには 
完了させなくてはならない
この担当は 藤牧伸夫だ

当日の食事の係りは 
女性会員が受け持つ
メニュー作りが大変だ
会員以外にも 手伝いの人や
見学する人も来る
その日その日で 人数が変わる

1年1回のお祭り

作品作りも 一段落させ
すべての行動は 窯焚きに集中する
その年その年で 
いろいろなドラマが生まれる
1250度の 今年のお祭りは 
何が待っているのだろうか

5月4日 窯焚きが終了すると 
5月11日まで 一時の休暇になる
12日には 待ちに待った
窯出しだ
そして 19日には スズランデパートへ
作品の搬入が待っている
強行スケジュールだ
1ヶ月間は大変だが 
1年1回のお祭りと
割り切って 頑張ってほしい

2010年4月7日水曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

CDの音入れで歌ってみる

「炎の道」と「ああ人生道中途」の
カラオケが仕上がったが
「炎の道」には ギターとトランペットを
かぶせる作業を 行うことになった
3月26日 日暮里のスタジオに向かった
すでに作業は始まっていた
ギターの音をかぶせていた

男性コーラスを 生かすために
トランペットはやめて
尺八をいれることになった 
と説明された
音入れが終わったところで
ご主人様が 歌ってみた
花粉症で 鼻が詰まって
声が出ないが それなりに歌っていた
とりあえず CDに落として
聞いた

生まれ持った歌声

作曲の池田進が いった
あの歌い方は 教えようのない
生まれ持った ものだ
詩が見事に伝わってくる
と絶賛した
アレンジャーの隼さんも
気に入ったようだ
娘さんも はじめての経験に
感激していた
レコーディングの本番は
花粉症がおさまってから 
行うことになった

5月中に レコーディングして
7月には CDが出来上がるのでは
ないだろうか
それにしても のぼり窯と展示会と
レコーディングと 体力がもつか
心配になってきた

2010年4月4日日曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

月にいけばな松風の展示会

いけばな松風の 石川さんがやってきた
90周年記念「いけばな松風展」を
高崎市のスズランデパートで
5月20日から25日の日程で
開催することになった という

展示会場は 迎え花 和モダンの間 
ガラス・金属の間 野の花・自然式の間と
大きく4つのコーナーに 分かれている
そこで 野の花・自然式の間に
陶蛍庵の作品を置き 花を生けたい
という申し込みだった

家元じきじきの 指名だという
会員の作品20点位 
用意してほしいということだ

本部と全国の支部が結束して
100周年に向け 
これからの創流のスタイルを
表現する展示会 だという
そのために 1つの器に2日間ずつ
3人が順番にいけるのだそうだ

作品づくりにに熱が入る

5月の連休に のぼり窯を
焚くことになっている
展示会のためには 5月19日までに
作品を仕上げなくてはならない
今のままでは のぼり窯に入れる
作品が足りない
ご主人様の 作陶意欲がわいてきた
水曜日の教室には できるだけ顔を出し
そのほかの日は 作陶小屋へこもり
作品作りに 集中している

2010年4月3日土曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

電気窯で本焼き

3月22日 素焼きされた作品に
絵付されたものや 釉薬をかけて
電気窯で本焼きが 行われた
小林千夢が 
朝早く 電気窯のスイッチを入れた
1430度が 設定温度だ
半日以上焼き続け 
温度が下がるのを待って
窯出しになる 24日になるようだ

今回の窯焚きは 新会員の作品を
仕上げるのが 大きな目的だ
自分だけの 作品をとおして
陶芸は楽しいと 感じてもらうことが
一番という 千夢の気づかいだ
入会して2か月 初めての作品に
触れて喜ぶ姿が 目に浮かぶ

初めての作品

3月24日(水)
新会員の作品が 仕上がった
初めて作った陶器は マグカップだ
釉薬をかけて どんな色にあがるのか
期待で胸が躍った
電気窯を開けると きれいに仕上がった
作品が出てきた
新会員のマグカップも 
きれいに仕上がっていた
歓声が上がった
手にとって 触れてみた
私にも できるんだ と
勇気が わいてきたようだ


2010年3月24日水曜日

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

素焼きができた

3月10日 水曜日
今日も作陶の日だ 皆が集まってきた
昨日は1日 雪が降っていた
5cmくらい積もった
道路が心配だったが なんとか登れた

新会員は そわそわしている
ほかの会員も 同じだ
長谷川さんの 
大作が無事仕上がったか
気になっていた
初めて作った 陶器を見に行った
長谷川さんの大作は 残念ながら
割れていた 凍みたようだ

新会員の作品は みんな無事できた
想像していたより 
小さくなっていたので 驚いた
マグカップの 手も割れていなかった
壺も無事焼けあがっていた
次の作品作りが 楽しみになってきた

道路が広くなった

陶蛍庵に登ってくる 道路は
林道大日陰線と呼ばれ
4メーター、一部 両側側溝になっていた
最近は 自動車のキャンピング場が 
できたりして
大きな車が 通行するようになった
そのため すれ違いなどのとき
誤ってその側溝に 落ちてしまうことが
年に5-6回あった
そのたびに私の出番となり
5分~10分かけて 車を引き揚げに 
行っていた

顧問の武井隆幸が 7~8年前から
改良するよう要望していたが
高崎市と合併して 3年目にして
やっと実現した
側溝の上に 溝ぶたをかけるだけのものだが
見違えるほど 広く見える
新年度予算で 残る部分も
改良することになっている
これで 私の出番は なくなるだろう

昨年の 陶芸といけばなの 
コラボレーションのときは
この道を一方通行にして 対応した
今年の作陶展は 交互通行ができるので
問題が二つ解決した

ユンボが見た 陶螢庵みとら窯物語 Ⅱ

アレンジが仕上がった

作曲の池田進が 「炎の道」は 暴れん坊将軍風の 
アレンジがいいといっていた
3月9日 アレンジがあがった
早速 窯元と聞いてみた かっこいい すごい歌になった
窯元も 気に入ったようだ

池田進が 東京からキーボードを もってきた
窯元のキーを 確かめるのと 歌のレッスンをするためだった
窯元が どんな歌い方をするのか 早く聴いてみたい

夢が膨らんだ

会員も「炎の道」の アレンジを聞いた みんな驚いた 興奮した
作陶する前に 社歌ではないが 皆で歌ってから はじめるか 
と 夢は膨らんだ

レコーディングして CDを売る話になった
窯元は そばでニコニコ笑っていた
窯元のことだから レコーディングはしても
売る話になるか ちょっと疑問だ

私の想像では 
陶芸を志し 陶蛍庵を作ってから 今年で20年の節目になる 
この記念にCDを 作るかもしれないが
知り合いに くれてしまうのでは ないだろうか 
そんな気がする